狂った世界の希望の種
Heaveneseが、先の大戦のA級戦犯とされた東条英機氏について話していた時、
なぜか、台湾の六氏先生のことが思い浮かんだ。
今日の配信
https://www.youtube.com/watch?v=JvQDh6qYUfk&feature=em-lbrm
六氏先生とは、明治28年(1895)、日本の台湾統治後にはじめて開校した学校である「芝山巌学堂(しざんがんがくどう)」に赴任し、暴徒に襲われて殉職した6人の日本人教師のことをいう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%B0%8F%E5%85%88%E7%94%9F
Heaveneseの動画の中で、戦犯という用語は当の昔に法律によって廃止されたこと、
戦後の当時多くの人が、殉職した彼らの慰霊碑建設に反対したこと、
お孫さんが小学生の時担任をする教員がいなかったこと、
そのお孫さんの一人が高齢になってから、
本当の歴史を国は国民に知らせるべきだと
立ち上がっていたことなどを紹介していた。
六氏先生のことを思い出したのは、
台湾も戦後中国からやってきた国民党が支配者として
40年近い戒厳令を敷いた時、
日本の痕跡をことごとく破壊する中、
当然この六氏先生の碑や墓も同じ目にあったが、
その後台湾における民主化が進み、
卒業生有志による墓標が建て直され、
今も多くの人が訪れる場所になっていること。
確かに戦争中の指導者と統治時代の教育者とでは
立場も状況も異なるというのはわかる。
でも後を継ぐ者たちが、歴史を形として残す、
殉教者に礼を尽くすという点では同じだ。
なぜ台湾では当時の統治者である日本人の墓標を立て直し、
今なお守られているのか。
なぜ戦後の戦犯のレッテルをはられた日本人殉職者は、
未だに戦犯という呼び方をされるのか、
国のために戦ったのに
なぜ悪者扱いにされなければならないのか。
どちらもそれぞれの国民が100%同じ考えだとは言わない。
でも日本人として戦後や近代史を改めて見直し
治すべきところは直していくべきだし、
国もしっかりと内外に発信すべきだ。
昨年からのコロナ騒ぎで、
近代歴史のでたらめさを改めて
深堀りさせられる状況になったことは、
私にとって良かったと言える。
きっとそういう人がたくさんいると思っている。
今日は、先のブログに書いたように、
ばかげた行政指導を順行している哀れな業者が
この場に及んでそれを強化しているのを見てがっかりした。
その前は、公共施設にはためく「緊急事態」と
書いてある黄色いのぼり旗を見て
自分の住む街を恥じた。
ちなみに「宣言」はされてません。意味不明でしょ。
一緒にはためているところを見た時は、
ギャクかと思った。(思いっきり皮肉)
ちと重くなった今日ではあったが、
明日は気を取り直して、野菜の種でもまいて・・・
そうだ!
明日は成田空港のお迎えだ。
何がうれしいかって、トランプグッズのお土産に尽きる。
ついでにいうと何でわざわざ車で迎えに行くかというと
公共交通手段を使えないからだ。
直行バスも運休だしね。
早めに行って、太平洋を見よう。
九十九里浜で、様々な時代の先人の命がけの航海に
思いを馳せようか。
Tomorrow is another day.
(明日は明日の風が吹く)←名訳だね