職業は旅人

旅が好きという単純な理由。

脳天気な人たちと思うことにした

久しぶりに渋谷に行った。

f:id:pikimoon:20210327172700j:plain

三軒茶屋にある小籠包の店で

久しぶりに食べた。

 

f:id:pikimoon:20210327172914j:plain

魯肉飯(ルーローハン)

 

日本でこれを食べたのは始めただけど、

上品な感じ(^^)

台湾のは地方や店によって違うし、

一概には言えないが、もっとぶっかけご飯風で

パクチーではなく、

大概おしんこ(タクワンが多い)がついている。

 

まあいい。

しばらく現地には行けないのだからよしとしよう。

 

渋谷に戻った。

 

f:id:pikimoon:20210327181124j:plain

ハチ公前広場でやっていた。

その前には数人にノー😷の姿があったが、

おそらく関係者だろう。

 

かなりの人出だったけど、

関心を持って見ている人は少なかった。

ほとんどの人がスクランブル交差点に飲み込まれていった。

100%😷で、実に楽しそうに見える。

 

それが緊急事態ではなく異常事態だと思ってたら

このイベントに足を止めるだろうし、

まず😷をしている自分を疑うだろう。

 

私のような田舎から出てきたものが、

😷なしでスクランブル交差点の雑踏を歩き、

😷要請の西武デパートに消毒液も無視して

小籠包を食べに行っても(これは上記のところと違う)

誰も気にしないし、店の人に呼び止められることもない。

 

電車に乗っても、睨む輩がいるかもしれないが、

こっちがまったくそれに関心がないせいか、

特に困ったことにもならない。

 

要するに、

大方の人たちは、感染リスクを恐れていたり、

コロナウイルスがいるかにないか、

インフルエンザと違うのか違わないのか、

くしゃみの原因が、

花粉なのか雑菌なのかも気にしていないのではないか。

 

もはや、何のために😷をしているのか気にもせず、

 みんながしていることをするのが

よい子の証といわんばかりの

この日本特有の雰囲気が、

そうだ、子供の頃から嫌いだったと、ふと思い出した。

 

 

まあいい。

今日はいい日だった。

 

f:id:pikimoon:20210327173930j:plain

先ほどの小籠包の店で私に出してくれたグラス

 

「真実はいつもひとつ!」ー名探偵コナン

 

       (簡体字なのがなあ・・・・)

 

「鬼の無限列車」から下車しよう

鬼滅の刃」を見て、

現代の状況を重ねている人は少なくないだろう。

 

この物語は大正時代だそうだが、

鬼はもっと昔からいて鬼殺隊もずっと前から

鬼と対峙してきた。

 

f:id:pikimoon:20210311122908p:plain

 

子供たちの多くはこのマンガやアニメに夢中だから

その歴史を考察したり、世の中との関わりを調べたり、

現代とのつながりを考えたりすれば、

「社会科」の学習にはもってこいだと思う。

 

 

以前イギリスにいた時の小学校では、

テーマを🐸カエルと決めて、

すべての科目でそのテーマで学習していた。

算数でもカエルを使って計算

理科ではその生態を調べ

国語であればカエルが登場する物語

工作ではカエルを作り

美術ではカエルの絵を描き

体育ではカエルを真似て動くなど、

教科をまたいでテーマを追求していた。

 

f:id:pikimoon:20210311114840p:plain



低学年では取り入れやすいし、

早いうちから、

なぜそれぞれの科目を学ぶのか意識するようになる気がした。

 

 

日本のきのくに学園(和歌山県)を見学したことがある。

http://www.kinokuni.ac.jp/nc/html/htdocs/index.php

そこでは、一年または数年かけて一軒家を作ったり、

日本庭園を作ったりしていた。

もちろん、完成後その家には学園の職員が住んでいた。

 

その製作過程で、様々な要素を体験を通して学ぶことになる。

イデアを出し、考察し、実行し、

フィールドバックしながら一つのものを共同で作り上げる。

 

もちろん、「授業」なので大人たちも手伝う。

完成を目指し実践をするには壁や困難が付きまとう。

1巻完結の物語ではなく連載版となれば当然だ。

 

 

鬼滅の刃」の中で、

主人公の炭治郎が「ようやくここまで届いたと思ったら、

また壁ができ、

それを超えたと思ったらまたさらに高い壁がある」

というようなことを言う場面がある(と記憶している)。

 

 TVアニメ『鬼滅の刃』全話を無料で見られる! | PASH! PLUS

 

昨年来の騒動の中で、

いたたまれない違和感を払拭するために、

いろいろ調べて行けば行くほど、

何が事実なのか嘘なのか、

誰を信じたらいいのか疑ったほうが

いいのかわからなくなった人達も多いと思う。

 

しまいには知らぬが仏を決め込んで

周りに合わせて通常を演じることもしかたないかもしれない。

 

映画の中、

鬼に協力して鬼殺隊のメンバーを抹殺して、

いい夢を見させてもらおうとする人達が、

炭治郎たち鬼殺隊のメンバーの潜在意識の中に入り込み、

精神の「核」を殺しに行く。

夢を見続けたらその後鬼に食べられてしまう。

しかも死ぬ直前にそれまでと違った恐怖の夢を見せて

食べるのだという・・・どこかで聞いたような怖い話だ。

 

f:id:pikimoon:20210311115427p:plain

 

今、この場に及んで、

😷だのワクチンだのを声高く歌っている人達に同調し、

それらに協力してしまう人達が、

 違いはあれど、

鬼の夢を見ているという点で、

妙にダブって見えてしまうのは考えすぎだろうか。

 

 

せめて、「鬼滅の刃」を見た人達が、一人でも多く

今のコロナ騒ぎがおかしいなと気づいてほしい。

 

 もしかしたら、鬼の無限列車に乗車中なのでは?と。

 

 

鬼に見せられた夢はたぶん・・ウソなのだから。。。

 

f:id:pikimoon:20210311115706p:plain



 

 

 

 

春になって開花するのは桜だけじゃない

「国に逆らってもしょうがないよ」

と母が言った。

 

検査陰性の海外帰りの2週間謹慎に対し、

馬鹿げでいると言った私にそう言った。

 

戦中を生き抜き、当時の大本営のウソも認識し、

「まずいので残しました」と食事場所の店員に

言ってしまう人だ。

 

それでも私といるとき以外は、外では😷をしている。

一度病院の待合室かなんかで、😷警察に凄まれたらしい。

 

日本という国は、誰が主権者なのだろうか。

 

逆らってやな思いをするからって思わされているって、

気づくのは面倒なのだろうか。

 

多かれ少なかれ、面倒だからという理由で

外出時に😷している人は、

たいてい典型的な日本人を装い、

はみ出さないことをよしとしている。

 

この島に大昔から住んでいた日本人は、

面倒だし、みんながしているから同じことをする

という人達だったのだろうか。

 

むしろ、人と違うことをして、

ユニークであることを楽しんで、

マナーとかエチケットという外来語で誤魔化す

なんてことはなかったはずだ。

 

独自の道を行く人が、

あまのじゃくで、

はみ出し者で、

厄介者になったのは

そんな昔ではないのではないか。

 

 

大型ショッピングセンターに行くと、

自分以外で😷をしていないのが、

一緒にいる家族しかいないことに

すごい違和感を感じる。

 

そういう違和感を感じない他の人たちは

どこの世界の人達なんだろう。

 

吐き気がするほど、息苦しい空気の中、

😷から増殖しているだろう雑菌やウイルスの死骸が

うごめいているのが

そのうち可視化されそうで

早々に立ち去った。

 

アデノ黒六の犧牲になっている赤ちゃんからすれば

充分に幸せなのだろう😷親に抱っこされている子たちは

親の笑顔や話しかけには、口というものがないのだと

認識し始めているかもしれない。

 

食べるとき以外は😷をしろという飲食店は、

食べるときは😷をしろという馬鹿げたことを

言っているのと同罪だということがわからない。

 

食い物だけを提供しているのなら、

そこで食べる意味があるのだろうか。

クソくらえとはこういうことだ。

 

 

同調圧力の極地である学校は明らかに😷を強制している。

その是非は、学校長に委ねられていると

文科省は言ったそうだ。

 

そんなバカな「実態」はこの日本でありえない。

 

f:id:pikimoon:20210305104232j:plain

 

 

うちの桜が咲いた。

小さなさくらんぼがなる桜だ。

f:id:pikimoon:20210306123421j:plain

 

5月になれば、実をつけるだろう。

そのころになると、鳥たちが偵察に来る。

食べごろを見計らっている。

 

2年前だっただろうか。

さあ、食べごろだと思って取りに行ったら、

一つ残らずなくなっていたことがあった。

地面にも一つも残っていない!

 

なので去年は、低いところは少しずつ早めに取るようにした。

高い所は鳥たちの取り分にした。

 

真っ赤に熟したとき、

やはり一日でなくなった。

 

 

 

もうすぐ小中学校の卒業式だ。

きっと、「起立、礼、着席」の

見事な集団行動が見られるのだろう。

 

でも、

ソメイヨシノの並木も悪くはないけど、

儚く短い花の命も

潔いとされる散り際も

 

卒業式の一糸乱れぬ動作も含め、

作られた日本の美徳なのではと確信に近づいたのは、

この作られた騒ぎのありがたい一面かもしれない。

 

 

 

英語では、教育をエディケーション(education)と言うが、

本来、動詞である edunateは、

引き出す、開花するという意味。

 

教育でも狂育でも強育でもなく、

子どもたちが本来のチカラを発揮できるように

この日本で、本来の学びが開花することを信じている。

 

 

小さなさくらんぼの

一番美味しい時を知る鳥たちのように

 

この国が

同調圧力に逆らう人を異端とする

勘違いをしないように

 

 

 

 

 

 

 

 

上空のヘリコプターの飛行音を聞きながら

九十九里浜に行ったとき

撮った写真がちょっとした操作の勘違いで

デスクトップの画面になった。

f:id:pikimoon:20210222151325j:plain

実際のパソコン上ではこんな感じ

f:id:pikimoon:20210222151326j:plain

太陽光線が一筋すっと差し込んでいて悪くない。

ちなみに釣り人は

景色の一コマに参加して頂いている(無許可)

 

今日は土曜日でゴミ出しの日、

しかも掃除当番(田舎の制度ですね)

よっぽどカラスの好みの物が入ってない限り

網をかいくぐって散らかすことは少ないので

掃除することはほとんどない。

そういう面でも一般の人達(カラスも)の意識は低くない。

 

低くない・・・・

今までよいことのように思ってきたけど、

いろいろなことが昨今の「さわぎ」の中で暴露されているが、

この日本人の時々海外の人達にも褒めてもらえる

低くない意識が如何様にも作用するということが

「99.9〜%」とういう数字に現れている。

「〜」はもちろんそれ以上という意味で、

私は「〜」以外にいるようだ。

 

九十九里浜には、かつて補陀落渡海の僧侶が

西の国から渡ってきて、

今の北関東方面に散っていったという。

f:id:pikimoon:20210227112600j:plain

大海原の黒潮が運良く浜に着いたならば

そういう人達の中に自分の先祖がいたかもしれない。

 

そんな歴史を紐解いている人達によると

私や先祖が関わっている地域にも

それらを伝えている歴史があるのは興味深い。

 

実際、本当かどうかは知るよしもないけれど、

自分の意識の中にそのことがふつふとと音を立てて

煮立っていくような感覚がしばしば訪れる。

 

 

おそらく、赤ちゃんのとき、紙おむつだった人は化学繊維、

布おむつだった人は布製のおむつを顔の半分を覆いながら

今日も強風の中、散歩している人を見た。

 

どうしても、そんなとき

まだまだ意識が囚われて、いらいらしてしまうのは

補陀落渡海の僧侶の境地には程遠いということがわかる(笑)

 

 

上空のヘリコプターの飛行音を聞きながら

海ならぬ空を航海する人達に感謝して

f:id:pikimoon:20210227112729j:plain

いつかは私も宇宙を駆け巡る一員として

世界のために貢献しよう!

 

気分を高めるためにはこのくらいは必要だ。

 

なんて

これでも見ながら😁

f:id:pikimoon:20210223134643j:plain

 

Keep Japan's awareness great

九十九里浜で補陀落渡海に思いを馳せる

九十九里浜から海を見た。

 

二ヶ所とも釣り人が一人、

広い砂浜にははまぐりの貝がたくさんいた。

 

f:id:pikimoon:20210222151123j:plain

f:id:pikimoon:20210222151324j:plain

今回ここに来たのは、成田空港の迎えのついでだが、

気になっていることがあるからというのもある。

 

補陀落渡海(ふだらくとかい)は、日本中世において行われた、自発的な捨身を行って民衆を先導する捨身行の形態である。

                  ウキペディアより

 

 

以前も紹介したことがあるトーマさんのブログにある

補陀落渡海の一つがここ九十九里浜という説

https://tomaatlas.hateblo.jp/entry/2019/04/25/120000

 

続き 日光編

https://tomaatlas.hateblo.jp/entry/2019/04/26/080000

 

補陀落渡海の始まりは和歌山県の熊野とされている。

昨年9月の旅で立ち寄った補陀落山

f:id:pikimoon:20200909154927j:plain

f:id:pikimoon:20200910094651j:plain

f:id:pikimoon:20200910100050j:plain

私が旅をする時はだいたい晴れが多いのだけど、

個々に来た時は、夕立のような豪雨だった。

帰る頃は青空が出たので、

なんとなく補陀落渡海のように大海原での航海の末、

九十九里浜にたどり着いたことを体感したのかなと

勝手に想像した(^^)。

 

私の生まれた所の地名は、熊野で、

父方の先祖は宇都宮藩にいたらしいとなれば、

なにやら関係があったのかもしれないと

これまた勝手に想像する。

 

暖かくなってきたので、

そろそろこれらにまつわる旅をしたくなってきた。

 

この頃風が強く吹く日が続く。

上空ではヘリや飛行機の飛ぶ音が止まないと思ったら

近くで山火事があったらしい(ここからは見えないが)。

 

何の山火事なのか。。。

もちろん○○ニュースじゃわかんないね。


  

 

狂った世界の希望の種

Heaveneseが、先の大戦A級戦犯とされた東条英機氏について話していた時、

なぜか、台湾の六氏先生のことが思い浮かんだ。

今日の配信

https://www.youtube.com/watch?v=JvQDh6qYUfk&feature=em-lbrm

 

六氏先生とは、明治28年(1895)、日本の台湾統治後にはじめて開校した学校である「芝山巌学堂(しざんがんがくどう)」に赴任し、暴徒に襲われて殉職した6人の日本人教師のことをいう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%B0%8F%E5%85%88%E7%94%9F

 

Heaveneseの動画の中で、戦犯という用語は当の昔に法律によって廃止されたこと、

戦後の当時多くの人が、殉職した彼らの慰霊碑建設に反対したこと、

お孫さんが小学生の時担任をする教員がいなかったこと、

そのお孫さんの一人が高齢になってから、

本当の歴史を国は国民に知らせるべきだと

立ち上がっていたことなどを紹介していた。

 

六氏先生のことを思い出したのは、

台湾も戦後中国からやってきた国民党が支配者として

40年近い戒厳令を敷いた時、

日本の痕跡をことごとく破壊する中、

当然この六氏先生の碑や墓も同じ目にあったが、

その後台湾における民主化が進み、

卒業生有志による墓標が建て直され、

今も多くの人が訪れる場所になっていること。

 

確かに戦争中の指導者と統治時代の教育者とでは

立場も状況も異なるというのはわかる。

 

 

でも後を継ぐ者たちが、歴史を形として残す、

殉教者に礼を尽くすという点では同じだ。

なぜ台湾では当時の統治者である日本人の墓標を立て直し、

今なお守られているのか。

なぜ戦後の戦犯のレッテルをはられた日本人殉職者は、

未だに戦犯という呼び方をされるのか、

国のために戦ったのに

なぜ悪者扱いにされなければならないのか。

 

どちらもそれぞれの国民が100%同じ考えだとは言わない。

でも日本人として戦後や近代史を改めて見直し

治すべきところは直していくべきだし、

国もしっかりと内外に発信すべきだ。

 

昨年からのコロナ騒ぎで、

近代歴史のでたらめさを改めて

深堀りさせられる状況になったことは、

私にとって良かったと言える。

きっとそういう人がたくさんいると思っている。

 

 

今日は、先のブログに書いたように、

ばかげた行政指導を順行している哀れな業者が

この場に及んでそれを強化しているのを見てがっかりした。

 

その前は、公共施設にはためく「緊急事態」と

書いてある黄色いのぼり旗を見て

自分の住む街を恥じた。

ちなみに「宣言」はされてません。意味不明でしょ。

 

余談:献血施設の「献血のお願い」と「緊急事態」が

   一緒にはためているところを見た時は、

   ギャクかと思った。(思いっきり皮肉)

 

ちと重くなった今日ではあったが、

明日は気を取り直して、野菜の種でもまいて・・・

 

そうだ!

 

明日は成田空港のお迎えだ。

 

何がうれしいかって、トランプグッズのお土産に尽きる。

f:id:pikimoon:20210210190149j:plain

ついでにいうと何でわざわざ車で迎えに行くかというと

公共交通手段を使えないからだ。

直行バスも運休だしね。

 

早めに行って、太平洋を見よう。

九十九里浜で、様々な時代の先人の命がけの航海に

思いを馳せようか。

 

Tomorrow is another day. 

明日は明日の風が吹く)←名訳だね