青空の景色に溶け込まない人達
日当たりのよいリビングの窓辺に移したら、
つぼみがまったく咲かず枯れてしまった欄の花。
ダメ元で冬の間置いておいた洗面所に置いたら、
あっという間に、ひとつふたつと咲き始め、
ほとんどのつぼみが咲いた。
人も同じなのかもしれない。
この人生が、運命というものに決められているとしたら、
今日の朝イチで飲む飲み物も決められていることになる。
いつもはコーヒーなのに、なんとなくお茶にしちゃったのも、
その時々の自分の気分や決意でないと。
ある程度は決まっていて(または生まれる時自分で決めてきて)
生きていく道や方法は都度自分が決めているという話もある。
昨年来のコロナ騒ぎで思うのは、
😷するしないひとつも自分で決めてないのか?という疑問だ。
突然、欄の花から😷になってしまったけど、
今日も外出したら、毎度毎度同じとはいえ、
😷していないのが私と連れだけだったという事に
打ちのめされたのではなく、
一年以上続くこの情景に、異様さと不気味さを感じて、
最近では別の地球にいるのではないかという感じがしているのだ。
救いは、私自身はごく普通の日常生活を過ごしているつもりなのに、
まわりはそうでないので、同じ星の住人ではないように思えるのである。
かといって、😷をしていない私をお店の人やレジに人が
ないがしろにするわけでもなく、
私に向かって「なぜしない」と議論を挑んでくる人もいない。
欄の花が、表のリビングの窓辺で花を咲かせなかったように、
咲く所でその華麗な姿をあっという間に見せたように、
同じこの地球、いやもしかしたら別の星か他次元で
心地よく花を咲かせて、まわりに喜んでもらえるようになるだろう、
そんな風に考えている。
それが、今の私の自由意志(^^)。
梅雨の合間の青空の下、夏の雲を従えて蒸し暑いくらいの陽気の中、
顔を覆うものもなく過ごすことが、超少数派になるとは・・・
本当は、青空の景色に溶け込まない人達と銘打って
愚痴を吐こうとしていたけど、
北向きの太陽光を浴びて咲き誇る欄の花たちを見たら、
まあいっかーという気持ちになった。